日本出張報告~②福島原発レポート

福島原発レポート

福島原発スタディ・ツアーに参加して

夫ラースが福島原発に行きたいというので、英語のガイドツアーを探していたら、「外国人のみ受け入れ可」のスタディ・ツアーを見つけた。

少人数制で、地元のガイドが「帰還困難区域」つまり、立ち入り禁止のレッドゾーンに連れていってくれる、というもの。

さっそくラースが申し込んだのだけど、「奥さんが日本人」だと伝えると、
「このツアーは外国人のみが対象なので、日本人は受け入れ不可」との返信。

それでもひるまないラースは、「うちの奥さんは25年もオーストラリアに住んでいて、もう日本人とはいえない」と、むちゃくちゃな反論をしてくれたおかげで、私も受け入れてもらえることになった。

それにしても、

日本人には見せられないって、どういうことなんだろう?

好奇心がむくむくと湧いてくる・・・

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いわき日の出

太平洋からの日の出

前日から300キロの道のりをドライブし、いわき市のホテルで一泊。
太平洋からの美しい日の出を見て、ツアー出発地点に向かう。

福島県南相馬市の小高駅前で待ち合わせ。

小高駅前休憩所

小高駅前に、復興を願って建てられた休憩所

その日の参加メンバーは、私たち夫婦に、オーストラリア人のゲイカップル、そして台湾人の女性、合計5人。
6人乗りの自家用車で行く、小さなツアーだ。

ガイドさんは東京の人だが、震災後、現地の役に立てることはないか?という思いで、この付近に引っ越してきたという。

社会貢献が「魂の天職」なんだろう。情に厚く、同時に社会的な視野を持ち合わせた、思慮深い女性と感じた。

まずは、ツアーの概要を説明してくれる。

・「観光ツアー」ではなく、「スタディ・ツアー」であり、まだ試運転中であること。
地元の人たちへの尊重の気持ちを忘れないでほしいこと。(セルフィ―とか撮ってほしくない ←わかる!)
・レッドゾーン(立ち入り禁止区域)では、許可がない限り、写真撮影しないこと。

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英語の資料をたくさん用意して、詳しい説明をしてくれた。
(注:ガイドさんからの説明が英語だったので、英語脳で理解した私の日本語訳、ヘンテコリンかもしれません…)

小高町は今年の4月に避難指示解除された地域で、住民は1割ほどしか戻ってきていない。

戻ってこない理由はさまざまだけど、多くの場合、7~8年も経っていれば避難先で新しい生活ができているし、過去のつらい思い出に向き合うにはまだ癒えていないこともあるだろう。

子育て世代は(政府が大丈夫とはいっても)少しでも子どもの被ばくリスクを避けたいと考える人もいる。
(注:ガイガーカウンターを持参して回りましたが、避難指示解除された区域の線量はほぼ正常値でした。)

ガイガーカウンター

持参したガイガーカウンター

それに、この地に戻ってきても最大の雇用先であった原発が廃炉になるわけだから、長期的に安定した就職先はほとんどない。

結果的に戻ってくるのは、高齢者がほとんど。

小高駅前の繁華街だったところは、空き地が多く、がら~んとしている。

避難を余儀なくされた人たちに、東電はそれ相応の賠償金を支払ってはいるが、賠償金を受け取っても土地と家の所有権は放棄していない。
そして、家の解体費用は国が負担してくれるという。既に地震や津波で被害が出ている家なので、解体してもらったほうがいいと考える人が多いだろうし、また、更地にしたところで今すぐには売れないだろうから、更地のままでしばらく放置しようと考えるのも、うなづける。

結果として、解体して更地のまま放置している土地が多いから、「復興」というかけ声とは裏腹に、がら~んとした町になる。

また、東電からの賠償金にしても、区域によって支払額に大きな格差があり、不平等感を募らせているそう。
(お隣はウン千万円もらったのに、ウチはたったのウン万円?!桁が違いすぎ!~みたいなところもある。)

さらにいうと、原発とは関係なく、津波で家が流された世帯には経済的支援は出ないのに、放射線量が高いとお金がもらえる、ということに疑問や不満が出るのも不思議はない。

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小高町に住む、94歳のおじいさんを訪ねた。
由緒正しい武家の血筋だそうで、立派な武家屋敷にお住まい。

若い世代の家族は長野で暮らしているが、先祖代々から引き継いできた土地を守るために、一人でここに戻ってきたそう。

避難指示が解除される前から、ちょくちょく戻ってきては森の手入れをしていたから、原発で働く人よりも体内の放射線量が高く、定期的に検査に行っていた。時間の経過とともに体内の放射線量は下がり、今は平常値だと。

からだもあたまもピンピン元気。

おじいさん曰く、

ほんとうの原発災害は、放射能ではなく、急な避難指示だった、という。
そんなにあわてて逃げることはなかったのに、緊急避難指示に従ったことで、たいへんなストレスが生じた。

みんな自分の車で逃げたから、道が大渋滞して何時間も身動きが取れなくなった。
老人ホームや、病院では、医療機器や薬や世話が必要な患者さんたちが無理やり避難させられたことで、何人も命を落とした。
(実際のところ、大熊町の双葉病院では338名の患者のうち46名が避難により死亡。自力で歩けた200名はバスで避難したが、受け入れ先となる医療機関はなく避難生活は困難。病院スタッフ全員が避難した14日以降、身動きのとれない重病人90名が院長とともに病院に取り残された。16日までに自衛隊が救出したが、1か月後、病院内で4名の死者が発見されたという。想像を絶する修羅場だったことだろう…)

おじいさんは「放射能そのものは怖くない、放射能のことをよく知らない政府が出した避難指示がいけなかった」と力説していた。

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レッドゾーン内にある、大熊町の特別養護老人ホーム「サンライトやすらぎの里」にも連れていってもらった。

高台にあり、駐車場から福島第一原発がよく見える。

福島原発

老人ホームの駐車場から眺める、福島第一原発

施設そのものは写真撮影禁止だが、窓ガラス越しに中の様子が見えた。

8年前のあの日、緊急避難した時刻にタイムトリップしたかのように、時間が止まっている。
駐車場には、そのまま走り出しそうな車が並んでいる。(でもタイヤの空気は減って、ぺちゃんこ)
出入口には、置き去りにされた車椅子がたくさん並び、スリッパやハンカチなんかも散乱している。
食事をするダイニングには、お茶のカップが置いてある。
事務室には、パソコンと書類がまるで仕事中のように机に広がっていて、そこに職員さんの気配すらする。

いないのは人だけ。
とても不思議な光景だった。

この老人ホームは、原発がまだ爆発を起こす前に、震災と津波のすぐあとに避難勧告があったのだが、避難を拒否していた。ところが、翌日、水素爆発が起きてしまったので、急遽避難することになったそう。

世話してくれる職員さんたちだって、自分の家族のことが心配だろうし、自分も避難しなければならないから、十分な人手があったわけではないだろう。医療機器を使わないと生き延びられない人もいただろうし、薬が切れてしまった人もいただろう。

この老人ホームを見て、94歳のおじいさんが言わんとすることがよく分かった。

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国道6号線は開通していて、通り抜けはできるが、途中停まることは許されていない。

除染が済んだガソリンスタンドでは営業を開始していたが、いまも閉鎖したままの店が並んでいる。

福島第一原子力発電所の看板とともに、「この先 帰還困難区域につき、通行制限中です」の案内板が見えてくる。

帰還困難区域の案内

帰還困難区域の案内板

帰還困難区域=レッドゾーンに立ち入るには、特別な許可証が必要で、出入りするたびに一人一人、パスポートを見せて確認する。そして、出てきたあとは、靴裏の放射線量を測られる。

靴裏の放射線量を計測

靴裏の放射線量を計測

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レッドゾーンに入って、まず見たのは、除染土が入った袋

レッドゾーンの外でも見ていたけれど、その数がおびただしい。
440キロほどの袋が、なんと16,000,000(千六百万)袋。
これが広々とした元田畑に所狭しと並んでいて、パノラマ・モードでもなければとても撮影しきれない。

除染土の袋たち

除染土の袋たち(この写真はほんの一部です)

東京オリンピックのために、各地で集めた除染土をレッドゾーン内に集めているのだそう。
毎日3000台のトラックが除染土壌が入った袋を、このレッドゾーン内に運び込んでいるという。

そして、除染土を入れていた袋を処理するための工場が建てられていた。
汚染土は土壌にまき、袋を焼却する。
セシウム等の放射性物質で大気汚染しないようにフィルターをつけているという。
(フィルターにはきっとゼオライトを使っているのだろう)

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レッドゾーン内の家は、原則的に写真撮影禁止。
地震と放置により荒れてしまった家々に、イノシシやカラスが出入りする。

イノシシ

帰還困難区域内で見た、イノシシ

この地域は、あと30年帰還困難区域のままにするというが、本当に30年で済むのだろうか?
(セシウム137の半減期が30年だから、なのだろうけれど、30年経っても半分になるだけだよね…)

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原発のすぐ隣にある、元・魚養殖場。

津波で全壊した元魚養殖場

津波で全壊した元魚養殖場

津波の被害で全壊。
今も放射線量が高すぎて立ち入り禁止、復旧しようがない。
ここは、このツアー中、もっとも放射線量が高かった。

原発が近く放射線量が高いせいなのか、津波で命を落とした人たちがいるせいなのか、ここの空気には特別な波動を感じた。

養殖場の隣の建物

養殖場の隣の建物
黄色い壁には「東電は1000年続く」と英語で落書きされている。

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最後に、富岡町に東京電力が建てた「廃炉資料館」に行った。
とても立派な建物で、プレゼン方法もカッコよく、お金をかけて作られた感満載。
「安全第一、廃炉に向けて、がんばってますよ~」という東電のPRなのだろう。

廃炉資料館

廃炉資料館内にある福島原発の模型

だけど、地元の評判はよくないらしい。
「電力配給ができなくなって、ごめんなさい」とは言っているが、
地元にかけた迷惑には、まったく触れていないから、だそう。

そういえば、「東京に電力を送るための福島原発」だったので、原発付近は震災と津波のあとも停電しなかったという。

原発事故のあと、福島県としては100%再生可能エネルギーに転向すると決めたそう。
あちこちで、太陽光発電のソーラーパネルや、風力発電の風車を見かけた。

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一日かけて現場の現実を見せてもらい、なんともいえない気持ちになった。

言葉を失くす、というか、どう情報処理していいか分からなくなって、すぐには書けなかった。

でも、現場をこの目で見る、ということは、とても重要だと思う。

テレビ番組で見たり、マスコミの記事を読むのとは、わけが違う。

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最後に、ガイドさんに質問した。

「どうして、このツアー、外国人のみ対象なんですか? 日本人にも見てもらったらいいと思うのですが」と。

「はい、そうなんです。日本人にも見てもらいたくて、日本人対象のツアーも考えてはいるのですが…」

慎重に言葉を選びながら説明してくれたガイドさんのお話を、私なりに解釈してみた。

日本人向けツアーを躊躇する理由:

それは、ひとことでいうと、「地元の人々への配慮」なのだろうと思う。

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この地域の人々は、原発とともに生きてきた。
原発が安定した仕事を提供してくれたし、第一次産業だけでは厳しい生活を救い、町を活性化してくれた。

原発事故によって大きな被害を被ったけれど、原発による恩恵も受けてきた。
だから、きっぱりと「原発反対!」とは言いきれない、複雑な感情があるのだろう。

こうして、よそ者の私たちが現状だけ見て、
「だから原発はダメなんだよ!」と反原発に利用してしまうと、
不快に思う人たちもいるだろう。

たしかに、この惨状を見たら「やっぱり地震がある国に原発は無理だね」と言いたくなる。

いくらクリーンでも、地球温暖化対策には適するとしても、事故が起きたら最後、何世代にも渡って大きく影響することになる。

安全基準を高め、廃炉の経費まで含めれば、もう原発は決して「安価なエネルギー」ではなくなっている。
核廃棄物の処理方法も宙ぶらりんなまま、原発利用を続けるのもどうかと思う。

原発よりも、再生可能エネルギーと、これから実用化されるかもしれない、より新しい技術に賭けたい、と思う。
(それも大量のエネルギーを一か所で発電する「メガ〇〇〇〇」とかじゃなくて、個人が所有する分散型の発電方法)

一方で、原発に関わってきた人たちが、「まだ使えるものは使いたい」「安全性は見直したのだから、いきなりすべてを廃炉にすることはなかろう」と言いたいのも分かる。

それに、現実問題として、地元の復興を考えたら、
原発もしくは、それに代わるような大きな雇用先、産業が必要なのかもしれない。

もっとも、事故前と同じ状態に「復旧」することは、おそらく難しいだろう。

これから、新しい町を、新しい人たちが新しい発想で創っていくのだろうか?

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たとえば・・・

芥川賞受賞作家の柳美里さんが2015年に鎌倉から小高に引っ越してきて、小さな本屋さん「フルハウス」を経営しているそうです。

いわゆる「よそ者」がやってきて、帰還した人々とともに新しいムーブメントを創っていく。

そんな「新しい町」「新しい生き方」が生まれてきたらいいなと、と思う。

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ツアー経路と線量

ツアー経路と線量

このスタディ・ツアー、福島原発の現実を包み隠さず見せてくれて、たいへん興味深かった。

ガイドさんの「自分の価値観を押し付けるのではなく、現実をみて参加者各自に考えてほしい」というニュートラルなスタンスも好感がもてたし、だからこそ考えさせられた。

希望がないわけではない。けれど、重苦しい気持ちにもなった。

この経験から私たちが何を学ぶのか?

そんなに簡単に答えは出ないかもしれない。

でも、それは一人一人が現実を見て感じることから始まる。

だから、日本に暮らす日本人にも、この『原発スタディ・ツアー』が解禁されることを願います。

 

そして、私というイチ個人フィルターを通したレポートではありますが、このブログ記事が原発や放射能汚染、そしてエネルギー問題、環境問題、災害復興などに興味のある方にとって、いくばくかの参考情報となれば幸いです。

 

現実はそんなにシンプルじゃないから、かんたんに結論出さずに、何ができるのか考え続けていこうと思います。

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